三朝四朝又朝朝

思ったことなどを徒然に・・・・・・
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大河ドラマ 平清盛 第11回 感想

(京随一のもののふと呼ばれた佐藤義清の出家は、人々の心に少なからず波紋を生じさせた・・・by頼朝)

散る桜を見ながら悲嘆する璋子。
「義清は、私の罪深さを背負うて出家したようなものじゃ・・・すまぬ事をした」
「それは違いまする。義清殿は璋子様によって知ったのです。人が人を愛しく思う事の罪深さを・・・璋子様こそが身を捨てて、義清殿に教えたのです」と慰める堀河局。
「そうか・・・」

ふーん・・・えっ、人が人を愛しく思う事の罪深さ?うーむ、どういうことだろう。ちょっと考えてみよう・・・あれ、もうテーマ音楽にいくの?考える間がないよ〜〜〜。

テーマ音楽。 


 という訳で、何だか深い意味がありそうな堀河局の言葉がひっかかったまま始まった第11回。サブタイトルは「もののけの涙」ということで、もののけたちに悲しみがふりかかりそうな内容でしょう。そして、その悲しみの内容が、「人が人を愛しく思う事の罪深さ」と言えるかもしれません。人は人を愛することによって喜びも得られますが、苦しみをも受けます。そして、それが行き過ぎると憎しみに変化したり・・・。「愛」というのは大切なことだろうけど、同時に罪深いという意味で諸刃の剣と言えます。

人が受ける苦しみを四苦八苦と喝破したのはお釈迦さんですが、八苦の中に「愛別離苦」というのがあるんですよね。人は人を愛するけど、その愛する人と必ず別れなければならないという苦しみ。堀河の言葉は四苦八苦というお釈迦さんの教えを元に発せられたのかもしれませんね。

愛別離苦

義清との別れを悲しんでいる人物がもう一人・・・崇徳帝。

義清が出家した際に詠んだ歌を崇徳帝に披露する清盛。

「朕は、義清だけが!義清だけが・・・心の拠り所だったのじゃ・・・」と嘆き悲しむ崇徳帝。

「おそれながら、帝は鳥羽の院の御子にあらず、白河院の御子におわすと伺っておりまする」

おい!清盛、突然何を言い出すんだよ!

「・・・叔父子と呼ばれ、鳥羽の院に疎まれておいでと」

うわっ、それを言うか!本人に・・・。「控えよと言うておる!」と帝の側近も声を荒立てて止めてるし。

「この平清盛も同じにござりまする。生まれ出でる前から実の父、白河院に命を狙われ、母は私の目の前で殺されました。されど!もののけのごときお方に、いつまでも振り回されるのはご免被りたく、この醜き世を!私なりに面白う!生きてまいる所存にござりまする!」

いや、あのね、誰もそんなこと聞いてないから(笑)

で、自分の思いを崇徳帝に言い聞かせてどうするつもりなの?崇徳帝も「面白う」生きていけってことなの?じゃぁ自分なりに「面白う」生きていると思われる雅仁親王に対してはどうよ?前回、清盛は義清に「雅仁親王が治天の君となれば世も終わり」とか言ってたよね。自分が「面白う」生きていくことは肯定するけど、雅仁親王が「面白う」生きているのは否定するんだ!?なにそれ、よく分からんよ、清盛。

まあ、清盛が崇徳帝に言いたい事は「白河の血に拘るな」って事だろうけど、それならそう言えばいいだけでしょうに・・・。
ここで崇徳帝が悲しんでいるのは、義清が出家したことなんだから「義清は帝のお苦しみも背負うて出家したのです。今もどこかで帝の御心が安からなられることを祈っているはずでござりまする」とか言って堀河局みたいに慰めてあげればいいのにね。自分の信条を高らかに言い放つ場合でもないと思いますけど・・・。

己の思いを理解してくれた唯一の存在である義清を失った崇徳帝は再び孤独の苦しみへと・・・しかし・・・。

(この年、崇徳帝に待望の皇子、重仁(しげひと)様がお生まれになった。崇徳帝から鳥羽院へ初めての反撃の機会が生まれたのである・・・by頼朝)

生と怨憎会苦

重仁親王に帝位を譲りたいと鳥羽院に告げる崇徳帝。
鳥羽院は「躰仁が次の帝になることが決まっております」と反論。

「躰仁は自分の養子だが腹違いの弟。血のつながりの薄きものには譲りたくない。上皇様が叔父子の自分を忌み嫌うのと同じじゃ。自分はわが子の後ろ盾となり、自分の思う政がしたい・・」と鳥羽院に言い放つ崇徳帝。

崇徳帝の意向は忠通や得子らも知るところなる。
驚いて得子の元にやってきた忠通。

「女房ふぜいに産ませた子を帝にしようなどとこれでは何のために躰仁様を中宮のご養子としたか・・・わかりませぬ!」
動揺を見せる忠通に対して得子は静かに言った。
「うろたえなさるな、関白どの・・面白うない男じゃのぅ」
「・・・」
「虐げられし帝が初めて牙を剥かれたのじゃ。受けて立って差し上げねば無礼であろう・・・」

自分の中に流れる血が原因で疎まれてきた崇徳帝ですが、その血を受け継ぐ我が子を得たことによって憎むべき鳥羽院に復讐できるという、何とも凄まじい愛憎劇です。そして、鳥羽院の子を産んだ得子は「受けて立つ」と強気の姿勢。白河院の血vs鳥羽院の血、というところですね(もっとも鳥羽院は白河院の孫ですけど・・・)。

これらの血筋に何ら係わり合いを持たない藤原忠通が動揺したのは仕方ないところかもしれません。藤原摂関家は娘を帝のお后にし次代の帝の外戚となることで力をつけてきわわけですが、忠通にはそういう皇子が生まれてませんからね。おまけに忠通は跡継ぎも生まれていないので弟の頼長を養子としているはずで、そういう意味では藤原摂関家や忠通の苦衷の描写が足りない気がします。

で、そういう渦中に生まれた重仁親王こそが悲劇。通常なら次の帝になられるお方だったんですけどね・・・。

求不得苦

受けて立った得子は崇徳帝にある策を申し出る。
「重仁様を帝の座につける策がございまする・・・まず早々に躰仁にご譲位なさってくださりませ」
「・・・」戸惑う崇徳帝。
帝の側近の教長が代わりに問う。
「どういうことかとお尋ねでございます」
「東宮を躰仁と定めた上はまずは躰仁を帝にせねば中宮さまの父・関白さまが不快に思われましょう。院と関白、このお二人が手を組まれるようなこととなれば、帝にはそうなると大変なご迷惑にござりましょう」
「そなたがさようなことを案じるは解せぬ!との仰せにございます」と教長。
「私とて鬼でも蛇でもござりませぬ。院の長年の帝へのなさりようには心を痛めておりまする。血が繋がらぬとは申せ、院と帝は父と子。それが左様に憎みあうお姿、おいたわしゅうござりまする。そもそも、なんで躰仁を帝の養子にしたとお思いですか。院による政とは父が子に変わって執り行うもの。弟君へのご譲位とならば、政がならぬ故にござりましょう」

(崇徳帝はご養子とされた躰仁様に譲位する。そうすれば院として政を行うことができる。重仁様は躰仁様の次の帝となればよい・・・by頼朝)

自分の子が帝となることで院政が可能となる。それが実の子であれ養子であれ。弟が帝となれば院政は出来ない。その言葉の意味が崇徳帝の中に浸透するの見計らって、得子はダメ押しの一手をうつ。

「重仁様は私がしかとお育ていたしまする。躰仁退位の後、帝となれまするように・・・」

(得子様のお申し出に崇徳帝のお心は揺れた。翌永治元年、12月7日、崇徳帝は皇太子躰仁様に帝の座をお譲りになった・・・by頼朝)

しかし、「譲位の宣命」には、崇徳院の養子となるはずの「躰仁」が「皇太弟」のままであることが書かれており、そのまま読み上げられてしまう。

それを聞いた崇徳院。
「皇太弟と・・・?弟に位を譲ると申したのか?子としてではなく・・・違う・・・違う・・・違う・・・弟に譲ったのではない・・・朕は政ができぬ!たばかりよったな・・・得子っ!・・・たばかりよったな!」

(崇徳帝の踏みにじられた思いの上にわずか3歳の躰仁様が即位され、既に出家し法皇となられた鳥羽院が引き続き、治天の君として政を行われることとなった・・・すべては得子様の思惑通りであった・・・by頼朝)

あれだけ渇望していた院政の望みが断たれた崇徳帝・・・そして、我が子の重仁親王は得子の養子となってしまいました。求めて得られぬ苦しみ(求不得苦)と愛別離苦の二連発・・・恨みは大きいですよね。

五陰盛苦

1142年(康治元年)正月。

忠盛の館での新年の宴。

崇徳帝の退位と近衛帝の即位という政治状況に、平家の行く末を語り合う郎党たち。
朝廷や藤原摂関家の誰に取り入るかなどを忠正、家貞や家盛などが喧々囂々。

「今は父上が三位の公卿となれるか否かの瀬戸際にござりまする。やはり引き続き法皇様に忠勤を・・・」という家盛の言葉を遮るかのように清盛が大きな欠伸。
「兄上!」
「すまぬ、すまぬ。あまりにくだらぬもので」
「くだらぬとは何事でござりまするか!」
席を立ち、廊下で寝転がっている清盛に詰め寄る家盛。
「一門の行く末を話し合うておるのですよ」
「王家にも摂関家にも信じるに足るお方などおられぬわ。誰に取り入るか話し合うだけ無駄じゃ」と言いながら自分の席へ戻る清盛。
「では、いかにして世を渡るおつもりですか?」
「容易い事じゃ!面白き道を選んで世を渡ればよい!はっはっはっはっ」
再び清盛に詰め寄る家盛。
「兄上も私も今や一家をなす身。いつまでも、そんな戯れを言うておる年ではござりませぬ」
「おかたいのう、お前は」
「兄上がやわらかすぎるのです」

身分が低いが惚れた女性を妻に迎えた清盛。一門のため恋を捨て、家柄の良い娘を妻に迎えた家盛。
一門や世の中に対する認識の違いから家盛は清盛に対して苛立つのも無理はありません。五陰盛苦にとらわれる家盛というところでしょうか。家盛からすれば清盛は無責任過ぎますよね。

そこに宗子、明子、秀子(家盛の妻)の三人が新年の挨拶に現れ、楽を奏じる。

それを聴きながら忠盛は言う。
「それぞれがそれぞれの色を出し、互いに足りないものを補い合い高め合う。これこそが平家一門の追い求める姿じゃ」
忠盛の言葉に家貞は「殿・・・うまいこと言われ過ぎでございまする」と褒める。
「ん・・そうか」
満足気に笑う忠盛。

忠盛も第一線を退いたって雰囲気ですね。ちょっと寂しいですが仕方ありません。

一方、久しぶりの時子さんは、相変わらず源氏物語を読んでいる。
「いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ。おぼろ月夜に似るものぞなき、とうち誦じてこなたざまには来るものか。
いとうれしくてふと袖をとらへたまふ。『深き世の あはれを知るも 入る月の おぼろげならぬ 契りとぞ 思ふ』・・・ああっ、これが光源氏と朧月夜の君の出会いなのね・・・」
ふと見上げた視線の先にいるのは時子の妹の滋子。庭で遊んでいる。

そこに明子が現れて時子に頼みごと。それは、姫様方に琵琶をお教えするよう頼まれ時子に手伝って欲しいとのこと。
しかし、時子は拒む。「清盛の館」というのがひっかかる様子。

しかし、数日後、貴族の娘に手ほどき中の明子の横に時子の姿が(笑)。
その最中、庭先に半裸で(笑)現れる清盛と盛国。
明子は清盛に時子を紹介するが、清盛は時子を覚えていない。

時子は二度会っていると言ってましたが、もう一回、清盛が明子の館へ突撃していった時すれ違ってますよね。まぁ、あれは言葉を交わしていませんでしたけど。

その席にいた波子という娘に見とれていた盛国に気付いた明子は、清盛に盛国にも妻を迎えてはと相談。
納得した清盛は明子と共に盛国に縁談をもちかけるが、盛国は「自分はまだまだ」と縁談を断った。

五陰盛苦にとらわれた盛国ですが、それを救ったのが明子でした。

盛国の元に出向いた明子は、元漁師である事を気にしているではないかと聞く。波子は名のある家に仕えており、自分が粗相をしては主人の清盛にまで恥をかかせてしまうと答える盛国。それに対して、そなたは立派な武士だと盛国の働きを称え、婚礼の準備をさせて欲しいと言う明子。明子の心遣いに救われた盛国は妻を迎える事を承諾する。
二人のやりとりを陰で聞いていた清盛も嬉しそうであった・・・。

求不得苦

手掴みで食べるなど盛国の婚礼の宴にしては荒々しいなあと思いましたが(笑)違ってましたね。

修羅の国、いや(笑)、相模国。波多野義道の館。

三浦氏に続いて波多野一族をも家来に加えた義朝。波多野一族の娘と契る義朝。

(程なくして、この二人の間に私の腹違いの兄、朝長が生まれる事になる。前年にも同じく腹違いの兄、義平が生まれていたが、京に暮らす我が母、由良御前は、無論、知る由もなかった・・・by頼朝)

そんな醒めた口調で言わなくても・・・頼朝さん(笑)頼朝さんの今は、この時の義朝の頑張りがあったからこそだろうに。

関東で地盤を広げる義朝ですが、まだまだ満たされない様子です。やはり心は都でしょうか・・・。

で、久しぶりの為義さんと由良との遣り取りもありましたけど、頼朝さんもあまり触れられたくないようなのでパス(笑)

怨憎会苦

同年、1月19日、皇后となった得子は、璋子を排除するために、璋子に仕えている者にあらぬ罪(得子を呪詛した罪)を着せて土佐に流した。その証拠として得子が突きつけた人形。それは以前、璋子が得子に祝いの品で渡した天児であり、その産着には、呪詛の文字がびっしりと書かれていた。

堀河局は反論しようとするが璋子は止める。
「堀河・・・もうよい・・・」
「されど・・・」
「陥れるのではない。救うてくださるのじゃ。鳥羽の法皇様をきずつけ上皇様を苦しめ・・・義清を出家に追いやった・・・私の愚かさを・・・こうして突きつけてくださったのじゃ・・・」

(この一月のち、待賢門院さまは堀河局らとともに髪を下ろされた。待賢門院璋子様と鳥羽法皇、このお二方は心を通わせあうことのないままついに別れ別れとなられた・・・by頼朝)

ついに悟りの境地に至った璋子さんって感じでした。
しかし、凄まじい執念ですね、得子さんは。徹底してました。よほど憎かったんでしょうね、璋子さんの事を。
でも、ここまで悪く描かれると、ちょっと可哀相な気がしますよ、得子さんは。実際は、やはり鳥羽院が原因だと思いますがね・・・。

老と病と死と愛別離苦

神社に参拝に来た清盛たち。清盛の事のみならず、一門や博多へ出張中の兎丸たちのことまで祈る明子。明子のために祈る清盛。

幸せのひと時・・・。幸せを願っている時が一番幸せなのかもしれませんね・・・。

その帰り際、境内で咳き込み倒れている人に駆け寄り介抱する明子。

これが明子の病の原因だったのか、その夜、明子が高熱を出し倒れる。
薬師によると、明子の病は「都ではやっている疫病」であり、死に至る病気とのこと。

動転した清盛は、「宋の薬を手に入れる」と言い出し、その場から駆け出すが、そこへ明子の父・高階基章が現れる。
「明子を清盛の妻にしてもらったのに屋敷に病を持ち込んでしまい、申し訳ない」と詫びる基章。
明子の部屋から侍女があわただしく出入り。明子の熱が上がった模様。
それを見た清盛は明子のもとへ行こうとするが基章にとめられる。

時子が琵琶を抱え清盛の館を訪れると、庭で清次が泣いていて、兄の清太が慰めている。
時子の姿を見た清太まで泣き出してしまう。
部屋の奥から響く祈祷の声。
只ならぬ気配のする清盛の館・・・。

忠盛や宗子、家貞らがたずねてきたのだが、僧侶と共に一心に祈る清盛に声がかけられない。

何かを思いついたように立ち上がる清盛。
「そうだ!陰陽師を呼ぼう!盛国!陰陽師を呼べ!」
「陰陽師など当てにしてはならぬ」と忠盛が制止する。

忠盛の中には、かつて陰陽師の占いが原因で起こった悲劇が思い起こされたはず。
その悲劇の結果、生まれた子が目の前に・・・。

「ならば、どうせよと言うのですか?どうやって明子の命を救うのですか!」

忠盛に詰め寄る清盛。
清盛を見つめる忠盛。

その時、どこからか琵琶の音が響いてきた。

「明子様・・・ではござりませぬ・・・」と家貞が呟く。

時子が清太と清次を慰めるため弾いていたのであった。
清太が「母のとまるでちがいまする!」というが、時子は「贅沢を言うてはなりませぬ。これは明子様直伝の音色ですよ」と答える(笑)

その音色は朦朧としている明子の耳にも届いている様子。
意識を取り戻した明子に別室で控えていた基章が駆け寄る。
「明子!」
娘の病気のせいか、以前より年老いた感じの基章。

清盛にも明子が意識を取り戻した知らせ。

清盛は明子の元へ行こうとするが、盛国が必死で止める。
「殿!殿はなりませぬ!」
「明子!」
「殿!殿!」

盛国にかまわず叫ぶ清盛。
「約束したではないか!二人で船に乗り、海を見ると!」
「殿!」制止する盛国。

病床の明子。
「もう・・・十分に・・・見せて頂きました。大きな船も・・・海の景色も・・・殿の目に映っていたから・・・殿の目に映る広くて面白き世を。ともに思い描くことができて・・・明子は・・・幸せにござりました・・・」
「明子・・・」
「殿・・・どうか・・・悲しまないで下さりませ」
「明子。明子!明子?明子・・・」

明子さん・・逝去。

駆け出した清盛は荒れ狂う・・・。

祈祷の僧を蹴倒し、殴りつける。
「この役立たずどもが!明子を生き返らせよ・・・さもなくば生きてここから帰さぬ・・・」

宋剣を抜く清盛。

「早う生き返らせよ!斬られたいか!」

そんな清盛に抱きつて止める盛国。

「殿!殿!お止めくださりませ!殿、恨むならば、恨むならば宋の薬を求めるを許さぬ法皇を恨みなされませ!疫病をとめられぬ朝廷を恨みなされませ!そして・・・みながすこやかに健やかに暮らせる世をとのがおつくりくださいませ!それこそが北の方さまが夢見た景色に相違ござりませぬ」
「明子ーっ!」

慟哭する清盛。

玄関先では時子が涙・・・。
その膝の上では何も知らず眠り込んでいる清太と清次。
宗子、家貞らも言葉なく・・・。
涙を拭う家盛。
黙ったまま清盛を見つめる忠盛。

(琵琶の音の如く、つつましやかに清盛とその一党を支えていた妻、明子の死は清盛を悲しませただけでなく、もののけの如く生きた白河院の血が清盛に流れていることを育ての父、忠盛に否応なく思い出させた・・・by頼朝)

・・・第11回終わり・・・

うーむ・・・頼朝、あんた、明子の事知らんでしょうに(笑)
なんか、この時まだ生まれていない頼朝が語るって変だよ。やはり、ナレーションは盛国がすべきでした(こればっかりですね(笑))

さすがに人の死とそれを嘆き悲しむ人を見るのは悲しいです。

明子を助けるために「陰陽師」と口走ったり、明子が死んだからといって僧侶を蹴倒したり殴ったりという清盛の姿は、かつて、愛する璋子の病を治すために何でもした白河院を彷彿とさせるものでした。狂乱する清盛に何も出来なくて見つめている忠盛の姿に「老」を感じました。以前の黙って見守る忠盛には「力強さ」とか「余裕」を感じましたけど。

それにしても分かりにくいよ。1回目から見ていないと?となるでしょうに。
せめて白河院の前で矢を射られる舞子の姿くらいオーバーラップしないとね・・・。暴れる清盛→それを見る忠盛→舞子の死に際→暴れる清盛って感じでしょうか。それなら頼朝の言う忠盛の感慨について、もう少し分かりやすくなったかもしれません。

それか明子の亡骸を担いで馬に乗るとかまですればね(笑)慌てて止める盛国に「明子に海を見せるのじゃ!」とかくらいまですれば、「もののけの血」のなせる業となったかも(笑)


とにかく清盛の言う「面白う生きる」って意味が漠然としていますよね。そのため清盛がそれを口にする度に「だから何なんだよ、それは!」って突っ込みたくなりますよ。

高杉晋作が「面白きなき世を面白く・・・」と言ったのは、その死に際なんですよね。だから後世の私たちは、その言葉の意味が理解できるし、共感なり敬意なりを抱くことができると思います。高杉にとっては志士活動など本意ではなかったかもしれないけど、生まれた環境(長州の上級士族)や育った環境(松下村塾)、周りからの期待などによって、己の持てる力を発揮し尽くしたって感じですからね。

そして、現実に生きている視聴者からすれば、家盛のように「甘いんだよ、お前は」って思ってしまいますよ。共感できません。

お釈迦さんが説いたように、人は生老病死という必然的な苦しみである四苦と愛別離苦(あいべつりく:親愛な者との別れの苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく:恨み憎む者に会う苦しみ)、求不得苦(ぐふとくく:求めているものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく:心身を形成する五つの要素から生じる苦しみ)の四つを合わせた八苦の中で生きているわけですよね。高杉に限らず、人はその苦しみの中から何とか楽しみを見つけ出し生きているわけですから。現実に生きている私たちが、「面白う生きる」と言う清盛を見れば溜息しか出ませんよ。

苦しい勉強の中でも理解できた時の喜び、片思いでもその人に会えただけで嬉しくなる気持ち、嫌な仕事が終わってビールを飲む時の喜び・・・人それぞれ、そうやって生きていると思います。人によっては数学の難問に挑むのが楽しかったり、議論するのが楽しかったり、趣味に熱中するのが楽しかったり、政治的闘争さえもが楽しかったりするでしょう。清盛の言葉はそういうのを全否定しているような感じです。それを象徴するのが家盛と清盛の口論の場面でした。一門の将来を想い議論している家盛を否定する清盛。その論拠が「面白う生きればよい」ではね・・・。

このドラマの清盛の場合、まだこれからなんですよね。だから、その中身も空虚になってしまうのは仕方ないところかもしれません。でも、それならば、家盛との口論で・・・

「ならば、兄上の申す『面白く生きる』とはどのようなことなのです?」
「・・・すまん、俺にもまだよく分からん。掴みかねておるところじゃ」
「だから兄上は甘いのです。・・・(以下続く)」

くらいの事でも言わせれば、「ああ・・・清盛さんも暗中模索してんだよな・・・うんうん、言いたいことは分かるよ」くらいの印象をもつことができると思います。家盛たちを否定すると同時に自分自身もいったん否定しないとね。それが「容易い事じゃ!面白き道を選んで世を渡ればよい!はっはっはっはっ」と高笑いされては「なんだコイツ」としか思えません(笑)

盛国が清盛に言った「恨むならば・・・」という言葉も分からないことはないです。この時代、世の乱れは治天の君の徳にかかわるものとされてましたしね。そのため元号を変えたりとかして、それも政治活動でしたから。でも、今までに流行り病の気配が無くて、いきなり今回の明子の病でしたからね。明子の病気と盛国の言葉、ここらへんは描写不足の感がありました。

鳥羽院が出家し法皇となった姿とか良かったですね。崇徳帝や得子、それに絡む忠通などは面白かったです。保元の乱の原因ですもんね。また、明子の死に涙をそっと拭う家盛も良かったです。時子と清太たちの絡みも良かった。今後につながるでしょうし。

しかし、肝心の主人公があれではね・・・。最愛の人の死で成長してくれればいいのですが・・・。

泣き喚く清盛に家盛は言ってやれば良かったのに。「兄上、面白うござりまするか?」と。
まあ、そう思うのは人が悪い私であって、人の良い家盛さんはそんな事思いもしないでしょうけど(笑)

「もののけの涙」・・・清盛、崇徳帝、璋子の流した涙でした。
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